作品と一体化するとは

このブログでは文学と一体化する方法と銘打って、作品鑑賞の手法を紹介しています。

 

そもそもそのアイデアはどこから来ているのか。

 

きょうはそれを紹介します。

 

映画で桐島、部活やめるってよという作品があります。 

桐島、部活やめるってよ
 

 

このなかで、終盤次のようなシーンがあります。

 

高校生の部活で映画を撮る神木隆之介に対し、 東出昌大が質問します。

 

なぜ映画を撮るのか。将来映画監督になるため?  女優と結婚するため?  アカデミー賞をとるため?

 

それに対して神木隆之介は映画監督になるのは無理、と答えます。

 

ではなぜ苦労してわざわざ映画を撮るのか。

 

ときどき、おれたちが好きな映画と、自分たちが撮った映画が、つながってるような気がして、それがなんかこう…(いいんだよね、という感じで笑う)

 

これが作品と一体化するということですね。

 

映画、文学、あるいは絵画や音楽などもそうですが、何かを表現する創作に関っていると、何か大きなものとつながっているような、神々しい体験することがあると思います。

 

かつての宗教が担っていたような役割かもしれません。

 

イメージでいうと、光が見えるとか、一緒にやっているメンバーと一体化しているとか、観客と同一になっているとか。

 

このブログでは、筆写を中心に、そういった文学鑑賞の技法を伝えて行きます。