モルグ街 訳書紹介

 

モルグ街の訳書はたくさん出ていますが、正統派で信頼のおけるのは丸谷才一さんのこの本でしょう。格調高い文です。

和田誠さんのイラストも素敵ですね。

ポー名作集 (中公文庫)

ポー名作集 (中公文庫)

 

 

 比較的新しい翻訳で、小川高義さんの訳です。言い回しが絶妙でとても読みやすいです。

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 巽孝之さんの訳は、学術的には正しいのかもしれませんが少し堅く、読みづらい印象です。

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

 

 

 

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)

 

 

モルグ街の殺人事件4

 The attention is here called powerfully into play.

この場合、注意力こそ強く要求されるのだ。

 call 〜 into play 力を活用する、です。

 

If it flag for an instant, an oversight is committed, resulting in injury or defeat.

ちょっとでも注意がゆるむと、しくじって、大損するか負けになる。

 for an instant 一瞬 ですね。インスタントラーメンのinstantです。

oversight は見落としという名詞です。

result in というのが成句で、この2語を一緒に覚えましょう。

 

The possible moves being not only manifold but involute, the chances of such oversights are multiplied;

しかも駒の動きがまちまちで入り組んでいるために、しくじりのチャンスはますます大きくなる。

 possible moves possibleは可能な、なので「ありえる動き」が直訳ですが、チェスはいろんな動きが可能であるということです。

multipliedはmultiply の動詞の受け身形で、倍数化される、つまりますます大きくなるという風に訳されています。

 

and in nine cases out of ten it is the more concentrative rather than the more acute player who conquers.

そして、十中の九までは鋭敏な人よりも、集中力の強い人のほうが勝つ。

 A out of B でBのうちAが〜という使い方です。

who conquers は関係代名詞で、sがついているのはwho の前のplayer のためです。conquerは動詞で征服する、名詞だとconquest征服になります。

 

In draughts, on the contrary, where the moves are unique and have but little variation, the probabilities of inadvertence are diminished, and the mere attention being left comparatively what advantages are obtained by either party are obtained by superior acumen.

その反対にドラフツでは、動きが一様ユニークで変化が少なく、しくじる率も少ないし、わりあいに注意力も働かされずにすむので、利益はすべて、どちらかの優れて明敏なほうが得ることになる。

on the contrary その反対に。現代文ではto the contraryで使われます。on the contraryは現在では「それどころか」です。on the と to the をセットで覚えましょう。 

 

 To be less abstract — Let us suppose a game of draughts where the pieces are reduced to four kings, and where, of course, no oversight is to be expected.

もっと具体的に言えば――ドラフツのゲームで、駒が盤面にキング四つだけとなった場合を想像してみよう。

 Let us suppose〜 〜を想像してみよう

where は関係副詞なのでそのあとは主語+述語になっているのを確認してください。

 

It is obvious that here the victory can be decided (the players being at all equal) only by some recherche movement, the result of some strong exertion of the intellect. 

もうこうなれば、無論しくじりの起るはずはない。するとこの場合の勝負は(両方の競技者がまったく互角として)、知力を強く働かせた結果としての、念入りルシェルシェな駒の動かし方だけで決ることは明らかである。

It is obvious that 〜は明白だ。論文などでよく使う言い回しです。この小説自体が科学や数学の論文のような始まり方をしていますね。 

equal 平等な、の意味もありますがこの場合匹敵する、互角であるという意味ですね。

 

Deprived of ordinary resources, the analyst throws himself into the spirit of his opponent, identifies himself therewith, and not unfrequently sees thus, at a glance, the sole methods (sometimes indeed absurdly simple ones) by which he may seduce into error or hurry into miscalculation.

普通の手がみな尽きてしまうと、分析家は相手の心のなかに自身を投げこみ、すっかり相手の心になりきって、相手を誘ってしくじらせたり、せきたてて誤算させたりする唯一の方法(ときには実にばかばかしいほど簡単な手なのだが)を、一目で発見することがよくある。

 depriveは本来奪う、の意味です。ordinary resourcesふつうの手が尽きてしまうと、となっています。

identify はこの場合同一視する、ですね。identityアイデンティティ、identical同一の、のように派生します。

「相手の心のなかに自身を投げこみ、すっかり相手の心になりきる」というのは将棋やチェスをやったことがある人にはよくわかる表現ですね。

 

この作品の主題でもありそうです。このあたりのニュアンスをかみしめながら、原文で聞いて味わいたいものです。

モルグ街の殺人事件3

He is fond of enigmas, of conundrums, of hieroglyphics; exhibiting in his solutions of each a degree of acumen which appears to the ordinary apprehension preternatural. 

彼は、なぞや、難問や、象形文字が好きで、凡人の理解力では超自然とも見えるほどの明敏さで、それらを解き明かす。

be fond of 〜 ◯◯が好き、というイディオムです。エニグマ、難問、ヒエログリフの3つが好きですが、どれもofでつないでいますね。

acumen とは少し難しい単語で、鋭敏さのことですね。acute 鋭い などと同じ語源です。

His results, brought about by the very soul and essence of method, have, in truth, the whole air of intuition. 

しかも、彼がありとあらゆる方法を尽して得た結論は、実のところ、まるで直観にしか見えないのだ。

intuition 名詞で直観です。intuitiveだと形容詞で直観的な、のように変化します。

 

The faculty of re-solution is possibly much invigorated by mathematical study, and especially by that highest branch of it which, unjustly, and merely on account of its retrograde operations, has been called, as if par excellence, analysis.

分析の能力は数学の研究によって、おそらく大いに活躍させられるだろう。ことに、その最高の部門であって、ただ逆行的なやり方をするというだけで、不当にも、とくに解析学と呼ばれているものによってだ。

このあたりは文法的にもだいぶややこしくなってきますね。難しければざっと眺めるだけで構いません。

 

faculty はこの場合能力という意味ですが、ふだんよく使われるのは「学部」や「教授陣」といった意味です。

 

par excellenceはフランス語からきていますね。とくに、抜きん出て、という意味です。

 

Yet to calculate is not in itself to analyze. A chess-player, for example, does the one without effort at the other. 

しかし、計算することはもともと分析することではない。たとえば、将棋チェスをさす人は、計算はするが、分析しようとはしない。

 the oneと the otherは対(つい)としてよく使われます。一方はこうで、もう一方はこうだ、のような例です。

 

It follows that the game of chess, in its effects upon mental character, is greatly misunderstood.

だから、チェス遊びが心的性質に与える効果などは、ひどい誤解だということになる。

It follows したがって、のような例で使われます。 

 

I am not now writing a treatise, but simply prefacing a somewhat peculiar narrative by observations very much at random;

私はいま、なにも論文を書いているのではない。ただ、たいへん勝手なことを述べて、いささか風変りな物語の序文にしようとしているだけである。

 treatiseは論文ですが、難しい単語です。thesis, paperなどが論文という語でよく使われます。

prefaceは論文の序文のことです。動詞で現在進行形となってingがついています。序文を書いている、という意味です。

 

I will, therefore, take occasion to assert that the higher powers of the reflective intellect are more decidedly and more usefully tasked by the unostentatious game of draughts than by all the elaborate frivolity of chess. 

ここでついでに、手が込んでいるわりにつまらないチェスなどよりは、地味なドラフツのほうが、もっと確実にもっと有効に、思索的知性の高い力を働かせるものだと、断言しよう。 

長文ですが、比較級として見ればわかりやすいです。A are tasked by B than Cという構造です。

In this latter, where the pieces have different and bizarre motions, with various and variable values, what is only complex is mistaken (a not unusual error) for what is profound.

チェスは、駒がいろいろと奇妙な動き方をするし、その価値もさまざまで、しかも変るものだから、ただ単に複雑だというだけで(よくある誤謬ごびゅうだが)、なにか深奥なもののように誤られる。  

 pieceはチェスのコマですね。

 

作品と一体化する方法

英文の精読に伴ってやるべきことは色々あります。

 

基本は英文の読解から始まります。

 

まず原文を一文ずつノートに書き写しましょう。

 

最初は意味がわからなくて構いません。

 

一文書いてみて、その後に日本語訳を眺めながら、文法を解読します。

 

知らない単語を見つけたら辞書を引いて確認します。

 

その際も紙の辞書がいいです。単語の意味を見つけたら線を引いたり、囲ったりしましょう。

 

ノートも良い質のもので滑らかなペンで書くのがいいです。

 

モレスキンのノートは書き心地もよいので、作品を味わうにはもってこいです。

横罫のものがおすすめです。

 

 

ポーに関する参考図書

ポーは19世紀前半の人でしたが、この時代の文学者たちの作品や経歴を載せた本です。

 

かなり重厚で、箱入りです。 

 

集英社ギャラリーというシリーズで、ギャラリー=画廊のように作品を眺めていける構成になっています。

口絵や挿絵が多いのも嬉しいです。

 

モルグ街の殺人事件2

THE mental features discoursed of as the analytical, are, in themselves, but little susceptible of analysis. 

 分析的なものとして論じられている精神の諸作用は、実は、ほとんど分析を許さぬものなのである。

 be susceptible of 分析を許す littleはほとんど〜ないという意味の副詞ですね。

 

We appreciate them only in their effects.

ただ結果から見て、それらを感知するにすぎない。

結果で判断するということですね。 appreciateには感謝するとか、正しく理解するという意味もあります。

 

We know of them, among other things, that they are always to their possessor, when inordinately possessed, a source of the liveliest enjoyment. 

そのなかでもわかっていることは、精神の諸作用を過分に身につけている人にとっては、これこそなによりも生き生きとした楽しみの源泉である、ということだ。

 their posessor で先ほどの精神の諸作用を身につけている人という意味、

続くwhen inordinately possessed でとりわけ過分に身につけている人は、と限定しているわけです。

 

As the strong man exults in his physical ability, delighting in such exercises as call his muscles into action, so glories the analyst in that moral activity which disentangles.  

ちょうど、強健な人が筋肉を働かせる運動を喜んで自分の肉体的能力を誇るのと同じように、分析家はものごとを解き明かす知的活動に熱中する。

 moral はこの場合知的な、という意味ですね。physical 身体的な と対になる語です。

 

He derives pleasure from even the most trivial occupations bringing his talents into play. 

彼は、この才能を発揮できることなら、どんなつまらない仕事でも楽しんでやるのだ。

 deriveは引き出すという動詞です。pleasure喜びを引き出す=楽しんでやるということですね。

trivial はつまらない、ささいなという意味。名詞形はtriviaで、日本語の「トリビア」です。

 

「モルグ街の殺人事件」と一体化する

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はじめまして。

 

このブログでは文学を五感で味わう方法を紹介しています。

 

五感で味わうとは、

 

原文をまずは実際にペンで書いて、

 

それを読んでみて、

 

オーディオブックで聴いて、

 

なぞった字に触れてみて、

 

そしてその作品自体を鑑賞して味わうことです。

 

 

手始めに海外文学で、エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」という作品で実践しています。

 

原文はこちらから。オーストラリアのパブリックドメインで、無料で公開されています。

https://ebooks.adelaide.edu.au/p/poe/edgar_allan/p74mu/

 

 

日本語の訳文は青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000094/files/605_20934.html

 

オーディオブックも無料で手に入ります。

 

アメリカの19世紀の古い作品なので、イギリス英語のようなイントネーションのこちらの音声が雰囲気にあいます。